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日本の芸術作品で最初のヒーロー

デジタル大辞泉』によれば、「ヒーロー」とは「敬慕の的となる人物。英雄」である。そして、「英雄」とは、『デジタル大辞泉』によれば、「才知・武勇にすぐれ、常人にできないことを成し遂げた人」、『大辞林』(第3版)によれば、「才知・気力・武力にひいで、偉大な事業をなしとげる人」を意味する。


日本芸術史においてこのような意味のヒーローを最初に描いた芸術作品は飛鳥時代(7世紀)の法隆寺玉虫厨子(ほうりゅうじ・たまむしのずし)だといえよう。玉虫厨子には『捨身飼虎図 (しゃしんしこず) 』と『施身聞偈図 (せしんもんげず) 』が描かれている。どちらの図も釈迦(しゃか)の前生の物語である本生譚(ほんじょうたん)(ジャータカ)から題材がとられている。『捨身飼虎図』は、前世で王子だった釈迦が、崖から身を投げて、飢えた虎の母子に自分の身を与えたという物語を描いたもので、『施身聞偈図』は、前世でバラモン僧だった釈迦が、羅刹(らせつ)から聞いた偈(教えの内容を表す文句)を岩に刻んだ後、飢えた羅刹の餌食となるために崖から身を投げたが、羅刹がその正体を現して帝釈天となり、空中で釈迦を救ったという物語を描いたものである。


どちらの図も常人にはまねできない釈迦の行動を描いており、しかも制作者の意図としてはこの行動を仏教徒の理想の姿として描いているのだから、この作品では釈迦はヒーローとして扱われていることになる。


それでは、ここで言及した2つの物語を含むジャータカはインドでどのように成立して、その後日本にどのような経緯で伝わったのだろうか。


(続く)